兄との衝突

母の新しい恋人は、泊まることはなかったものの、毎日のように家に来た。 そしてしょっちゅう母と私を外に連れ出して、外食したりカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったりした。私との仲を深めようとしている様子だった。 当時の私としては、よく外出に付き…

新たな恋人

中学1年生の冬。 アンサンブルコンテストの大会が始まり、私たちサックスカルテットは最終的にエリア大会まで出場でき、結果は金賞だったものの、いわゆるダメ金というやつで、全国大会までは届かなかった。 この頃、母に新しい恋人が出来た。 アンサンブル…

不穏

コンクールが終わり夏休みも終わりかけになる頃、部活は秋に開催する定期演奏会と冬に行われる大会、アンサンブルコンテストの練習に入った。 定期演奏会は毎年秋に市内ホールで行われていて、演奏発表会のようなものだ。友達や家族など、いろんな人が聴きに…

初めてのコンクール

中学に入学してから初めての夏休みがきた。 わたしはもちろん部活三昧。 8月に吹奏楽コンクールの県大会が行われるので、休みの日などほぼなし。 月〜日まで毎日、朝から夜まで練習練習練習の日々。 お昼ご飯は母は作ってくれなかったので、自分で作って弁当…

好きな人

学校生活が慣れてきた頃、同じクラスに好きな男の子ができた。名前はナツキくん(仮名)。 ナツキくんはイケメンの小柄な子でサッカー部。普段はクラスのムードメーカー的な存在で、いつも面白いことをしていたり、おちゃらけた発言をしたりと、明るい人だった…

吹奏楽部へ

中学生になると、クラスでは部活に入る入らないの話で持ちきりだった。 私は同じマンションに住んでいる、小学校のとき同じ登校班だった2個上の先輩から、吹奏楽部に入るよう勧められていて、なんならその先輩が担当しているサックスという楽器をやるように…

新たな日々

中学生になった。 私が通っていた中学は、校区内にある3つの小学校から生徒が集まる。なので新しい出会いがたくさんあった。 同じ中学にあがったさきと、初めて両想いになった彼とはクラスが別々になった。 私のクラスは同じ小学校からきた子もいたが、小学…

卒業のとき

脱毛症がひどくなったり、ウィッグをしたり、からかわれたりと、学校生活は嫌なこともたくさんあったが、トータルで見たら楽しい日々だった。 さき、えみ、ゆいの一生の友達は出来たし、ブラスバンド部で練習した日々も楽しかったし、クラスのみんなとトラン…

ウィッグを外した日

小学6年生の冬休み。 以前から使用していた塗り薬と液体の効果が出てきて、私の大きい部分の脱毛斑はすっかり治り、髪の毛が生えた。 他の脱毛斑も小さくなっており、ウィッグをしていた方が蒸し暑くなるほどに、私の髪の毛は生えていた。 とはいえ、完治し…

初めての両想い

小学6年生の冬。初めて両想いになった男の子がいた。 同じクラスの男の子で、頭が良く、面白い人だった。 特にイケメンというわけではなく、モテていたわけでもなかったが、私は彼が大好きだった。 同じクラスで仲良くなり、自然と好きになった。 ある日、彼…

恋人との別れ

小学6年生の頃。 ある日、家にいると、母がイライラしていたので、私は母の機嫌を損なわないよう、静かに過ごしていた。 すると母が突然、誰かに電話し始めた。 「もしもし、私、〇〇(苗字)と言います。おたくの旦那さんにはとーってもお世話になってまして…

兄との交流

小学5年生の頃は、ウィッグや寺のこと以外にも、思い出深いものがある。兄との交流だ。 当時兄は大学生で、授業や予定がない日や、バイトが休みの日などは家にいた。 学校から帰ると兄が家にいることもあった。 小学生と大学生が話すことなど、特にないのだ…

怪しげな寺

学校での生活が楽しく安定しはじめた小学5年生の秋頃。 私は母に連れられて寺にやってきた。 家からかなり離れていたと思う。なにしに行くのか、特に母から説明もないままやってきた。 奥から50代くらいの住職の男性が出てきた。 気さくな感じの住職。母にな…

初めてのウィッグ

話を戻す。小学5年生の頃だ。 奇跡的に、さき、えみ、ゆいとはまた同じクラスになり、私にとっては学校は天国のようだった。 けどその頃も私の脱毛症は改善していたわけではなく、ひどいままだった。 当時、大手ウィッグ販売の企業が、ウィッグのモニターを…

父と

マンションに引っ越してからの小学生時代は、毎年父に会っていた。 母は嫌がっていたが、私が会いたいとせがむので、仕方なく引き合わせていた。 前にも書いたが、父はお金にだらしなく、酒癖も悪い人だったので、兄と姉も父に会う気がなく、私としか会わな…

サンタの存在

少し話は変わるが、私はサンタさんに欲しいものを伝えたことがない。 というより、自分が欲しいものを伝えても、もらえないからだ。 母の実家にいた頃、一度だけサンタさんからプレゼントをもらった。オルゴールだった。 オルゴールが欲しい、と誰かに言った…

母のこと

いくら支えてくれる人たちがいたとしても、私が帰る場所は私の「家族」がいる、あのマンション。 小学3年生から住み始めたマンション。 当時、兄は大学生で、引きこもりではなくなったものの、友達と遊びに出かけたり、深夜のゲーセンでのバイトを始めたりし…

支えてくれる人

毎日死にたくなるほど辛かったけど、それでも一緒にいてくれる友達たちがいた。 私の髪の毛のことを触れるでもなく、ただ一緒にいてくれて、一緒に遊んでくれた。 その友達たちとは35歳の今でも連絡を取り合うほど、一生の友達になった。 その友達たちは3人…

円形脱毛症

これまで書いていなかったが、私は3歳頃から円形脱毛症と共に生きている。 35歳になった今では、円形脱毛症の中でも最も重度の汎発型の脱毛症になっており、頭皮の他にも眉毛や鼻毛など、毛という毛が一切ない状態だ。 6〜7年前からずっとウィッグ生活。 と…

新しい生活

引越し先のマンションには、私と同学年の子達がたくさん住んでいた。 子どもたちが集まるプレイルームもマンション内に設置してあって、みんながそこに集まって遊んでいた。 まだ引っ越したばかりの私は、人見知りもあったので、なかなかマンションの子たち…

最後の日

転校が決まってから、クラスのみんなから色紙をもらった。男子と女子からで2枚。 ビデオメッセージももらった。ビデオに映っていたのは、当時仲の良かった男子たちと女子たちからだった。見た時は泣きそうになった。 初めて好きになった人に、どうしても告白…

マンションへの引越し

母の実家での生活も、そう長くはなかった。 相変わらず姉はグレているし、兄も引きこもり。 姉はしょっちゅう祖父母と喧嘩してるし、兄はストレスを溜めるだけ溜めて、ある日突然爆発して祖父と喧嘩したりしていた。 そんな2人でも、私にとっては大事なきょ…

小学校の記憶

小学校に上がる頃、私は小学校受験をした。 というのも、兄と姉も受験をして受かっていたので、自然と私も受ける流れになったのだ。 受験内容は、覚えているのは一つだけ。 「動物の絵を描いてください」と言われたので、普段から祖父と一緒に描いていた、ゾ…

父との再会

幼稚園の頃だったか、小学校にあがってからだったか、どちらにせよ、母の実家で暮らしていた頃、祖母と共に父に会いに行ったことがある。 あとから聞いた話だと、私が父に会いたいと、ずっと泣くので、可哀想に思った祖母が連れて行ったらしい。 母には内緒…

母の実家へ

私が小学校入学する前に、アパートを引き払い、母の実家で暮らすようになった。 母はいつも仕事でおらず、引きこもりの兄とグレた姉とも会話することもなく、一人だった私を唯一、祖父だけは私の味方でいてくれた。 当時の祖父は定年退職をしてまもない頃で…

アパートでの暮らし

兄と姉と私は、母に引き取られた。 母の実家からも近いアパートでの4人暮らしがスタートした。 私はその頃幼稚園に通うようになったのだが、 正直いうと、幼稚園の頃の記憶がほとんどない。 というより、このアパートで過ごした記憶がほぼない。 これもあと…

最後の記憶

一軒家で過ごした最後の記憶は3歳の頃。 そのとき私はふと夜中に目が覚めて、 隣に母がいないことに気づいて悲しくて泣いていた。 私の泣き声で父と姉が起きて、父は母がいないことに血相を変えて怒りながら家を飛び出し、車を走らせた。 あとから聞いた話だ…

最初の記憶

私が生まれ育った街は、あたたかい気候が続く小さな田舎町で、雪が降っても積もることはない、あったかい街。 住んでる人も優しくて、わりと住みやすいところで暮らしてた。 私は、両親と歳の離れた兄と姉の5人暮らしで、 物心ついたときには一軒家に住んで…

はじめに

初めまして。りな、と申します。 現在35歳、2人の子供を育てている主婦です。 35歳になった今、自分の人生ってあとどのくらいあるのかなって、ふと思って、 寿命で死ぬとしたらもっと先は長いのかもしれないけど、突然の事故や事件で急に人生が終わることだ…