兄との衝突

母の新しい恋人は、泊まることはなかったものの、毎日のように家に来た。

 

そしてしょっちゅう母と私を外に連れ出して、外食したりカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったりした。私との仲を深めようとしている様子だった。

 

当時の私としては、よく外出に付き合わされることは多少めんどくさい気持ちはあったものの、彼は別に悪い人ではない印象で、むしろ優しく接してくれるし、私と仲良くしようとしていることは理解していたが、それがウザイとか嫌だという感情は特になかった。

 

 

そんな日が続いていた中で、私の兄に異変が起きた。

 

母に恋人ができてから、兄は前よりも家にいる頻度が減ってきて、夜中に帰ってくる日が続いた。

そして夜中に帰るときは決まって、兄の恋人も一緒に来ていた。

 

いつも夜中に恋人を連れてくるので、兄の恋人と鉢合わせたことはなかったが、たまに私が夜中に起きてトイレに行く際、兄の部屋からいかがわしい声がよく聞こえてきた。

母は気づいているだろうかとヒヤヒヤしながら部屋の前を通り過ぎたのを覚えている。

 

次の日の朝になれば、いつも兄の恋人は家にはおらず、兄だけ部屋にこもっていた。

しかしやはり母は兄の恋人の存在に気づいていたようで、「夜中にいつも来る非常識な女」という認識でいつも私や自分の恋人の前で兄の悪口を言っていた。

 

 

母は昔からなぜか、兄に直接文句を言うことが出来ないので、いつも自分の恋人に、「あの子のこと叱ってほしい」とよく言っていた。

当時の私は、家族でもない人に、自分の子どもの説教を頼む神経を疑ったが、今思えば、きっと母の中では彼と再婚するつもりでいたのかもしれない。いずれ家族になるんだから、子どもの面倒も一緒にみてほしいと考えていたのだろう。

 

母の恋人は「俺が直接話すから」と、かなり意気込んで言っていた。

 

 

 

ある日の夜中、玄関前が騒がしくて目が覚めた。

 

部屋の扉から耳をすますと、兄が酔っ払って帰ってきていたのだが、とんでもない大声を出しながら母と母の恋人に対してキレている兄の声が聞こえた。

 

母の恋人が家にいたのも知らなかったのでビックリしたが、兄がキレているのにもビックリした。

 

「父親でもないくせに説教するな」

「おまえが家にいるのがずっと嫌だった」

「りなだって嫌がってるのにいつも連れまわしやがって」

 

そんなことを言っていた。

 

母はずっと泣いていて、母の恋人はずっと兄に反論していた。

全然収まる様子はなく、私は、「近所迷惑になるな、そもそも連れ回されてるのはそこまで嫌じゃないけどな」と思いながらまた寝た。

 

 

そんなことがあってからは、兄と母は冷戦状態のような感じになっていて、顔を合わせることさえもなかった。

 

新たな恋人

中学1年生の冬。

アンサンブルコンテストの大会が始まり、私たちサックスカルテットは最終的にエリア大会まで出場でき、結果は金賞だったものの、いわゆるダメ金というやつで、全国大会までは届かなかった。

 

この頃、母に新しい恋人が出来た。

アンサンブルコンテストの練習もあったし、あまり母と話すこともなかったが、あるとき母に「もう中学生になったし、門限は21時でいいからね」と言われた。

中学1年生の門限が21時というのに衝撃だったが、部活で遅くなる日も多かったし(とはいえ21時まで練習することはないが)、門限が遅ければ遅いほどいいやという気持ちだったので受け入れた。

 

けど、遅い時間の門限設定の理由は、母に恋人が出来たからだというのに私はすぐ気づいた。

 

というのも、部活から帰ってきてご飯を食べるにも、母が全然帰ってこないので、自分で食材を買ってご飯を作るというのが日課になったからだ。

 

母に連絡しても「遅くなる」しか言われず、ああ、また男か。とすぐに分かった。

 

日付が変わって帰ってくることはなかったものの、基本的に夜ご飯は自分で用意して一人で食べる生活だった。

 

小学生の頃の私なら、母と一緒にいたいとずっと思っていたが、この頃はもう中学生。すでに母親のことを「母」だと思わなくなった私にとって、母がいない生活の方が楽に感じた。

幸い、私には部活という、打ち込めるものもあったし、サックスを吹いている時間だけが唯一の幸せだった。

 

 

 

そんなある日、部活から帰ると、母と一緒に見知らぬ男が家にいた。

男は母より少し年上のような雰囲気で、見た目はガラが悪かったが、かなり陽気でお喋りな男だった。

 

男は私を見るなりすぐに話しかけてきた。

私と仲良くなろうとしている感じだった。

「お母さんとお付き合いしてるんだ」という話だったのは覚えているが、あとはなんの話をしたかは覚えていない。

 

とにかくずっと話しかけてきていて、「りなちゃんはどんな遊びが好きなの?」と聞かれたので、たまに友達とやっていた「ボーリング」と答えた。

 

すると男は「じゃあ今からボーリングに行こう!」と言い出した。時間はもうだいぶ遅かったが、本気で行く気のようで、「もう疲れたからいいよ」と言っても無理矢理に連れて行かれた。母はニコニコとしているだけで、何も言わずについてきた。

 

その日は結局ボーリングをやらされ、楽しかったというよりかなり疲れた。

 

そしてこの日から男はしょっちゅう家に来るようになった。

不穏

コンクールが終わり夏休みも終わりかけになる頃、部活は秋に開催する定期演奏会と冬に行われる大会、アンサンブルコンテストの練習に入った。

 

定期演奏会は毎年秋に市内ホールで行われていて、演奏発表会のようなものだ。友達や家族など、いろんな人が聴きにくるが、私の母が来たのは1度だけだったし、いつのときの演奏会に来たのか覚えていないくらい印象にない。

定期演奏会はクラシック曲だけでなく、今流行りのポップス曲や懐かしの曲など、いろんな曲を演奏するので、練習量も倍になる。それプラス、明るい曲では振り付けもあったりして、踊りながら吹くのでかなり体力を使う。

 

アンサンブルコンテストはコンクールと同じで全国大会まであるが、アンサンブルなので楽器ごとにカルテットなどを組んで出場する大会だ。

毎年冬〜春にかけて大会があり、地区大会、県大会、エリア大会、全国大会の順に上がっていく。

3年生が出ることも稀にあるが、基本的には受験シーズンと被るので、出場するのはほぼ1〜2年生のみ。

 

私ももちろん出場した。サックスのカルテットで、私はアルトサックスを担当。同学年のみさはテナーサックス、2年生の先輩たちはソプラノとバリトンサックスをそれぞれ担当した。

 

定期演奏会にアンサンブルコンテストに、まさに部活漬けの毎日だった。

 

 

 

 

夏休みが明けてからは、授業と部活の日々が続き、家にいる時間よりも、学校にいる時間の方が長かった。

 

この頃、姉はすでに高校を卒業して、東京へと上京。兄はまだ大学生だったが、相変わらずサークル活動やバイト、友達と遊んだりなどであまり家にはいなかった。

 

母に関しては、長らく付き合っていた男と別れてからしばらくは男の陰はなかったものの、それも少しの間だけで、気付けばまた新たに男が出来ていた。

初めてのコンクール

中学に入学してから初めての夏休みがきた。

 

わたしはもちろん部活三昧。

8月に吹奏楽コンクールの県大会が行われるので、休みの日などほぼなし。

月〜日まで毎日、朝から夜まで練習練習練習の日々。

お昼ご飯は母は作ってくれなかったので、自分で作って弁当を持って行ったり、たまにコンビニで買って食べたりした。

 

 

吹奏楽コンクール県大会当日。

全国大会に出場するためには、県大会で結果を残したあと、エリア大会に出場してまた結果を残し、その後全国大会に出れる。

当時は東京にある普門館というところで毎年全国大会が開かれていて、吹奏楽をやっている人たちからすれば、普門館はいわゆる「吹奏楽部の甲子園」という場所だった。

 

吹奏楽コンクールはA部門とB部門に分かれていて、簡単に言えば人数の違いだ。

A部門が大規模編成、B部門が小中規模編成になっていて、私の通っていた中学はA部門での出場だった。

 

コンクールは中学部門、高校部門、大学・一般部門の出場者が集まるので、だいたい4〜5日行われる。

どの部門も審査は、前半はB部門で後半がA部門だ。

 

私がいた吹奏楽部は、毎年当日は早朝から集まって練習した。だいたい4〜5時の間には練習が始まる。

なので毎年起きるのは3時頃だったので、ただただ眠かった。

 

午前中しっかり音出ししてから、会場へ向かう。

1年生だった私はコンクールに出るといっても、出番は一小節のみ。楽譜はまっさらで綺麗だったが、2〜3年生の楽譜は合奏で指摘され続けた鉛筆書きがたくさんしてあり、もはや楽譜の意味をなさずほぼ真っ暗。その上からカラフルな色で「絶対全国」「頑張ろう」「金賞めざせ」などが書かれていた。

 

当時の私は、楽譜全然見えないけど大丈夫なのかと心配になったが、暗譜するほど練習しているので問題ない、ということに2年生になってから気づく。

 

 

いざ本番になり、舞台に上がった。

初めての舞台。照明がキラキラしていてとてもまぶしく暑かった。

観客席は手前までははっきりと見えていたが、他は逆光であまり見えない。けどたくさんの人が聴いていることだけは感じた。

 

合奏のときとは違う一体感。

みんなが目と目を合わせて奏でる一つ一つの音に感動した。私はたったの一小節だけの出番だったが、それでもすごく緊張したのを覚えている。

 

 

 

本番が終わり楽器を片付けた後は、他の中学の演奏を聴く、というのが決まりになっていた。

早朝から起きているので、正直眠すぎて、ウトウトというより普通に寝てしまった。先輩たちに叱られた。

 

全ての中学(A部門)の演奏が終わり、いよいよ結果発表の時間がやってきた。

コンクールは全ての学校に、金賞・銀賞・銅賞が振り分けられる。見事金賞を受賞した学校の中からだいたい2〜3校だけが、次のエリア大会への出場が決定する。金賞を受賞してもエリア大会に行けない学校の方が多いので、エリア大会に出れない、意味のない金賞のことは「カラ(空)金」「ダメ金」と言われていた。

 

結果発表のときは、各学校の生徒代表者(だいたい部長)が舞台に上がる。

そして審査員がマイクで学校名を呼んだあと、金銀銅が発表される。

当時は金賞銀賞の呼び方が似ていたので混乱したため、審査員が気を利かせて、途中から金賞のときは「ゴールド金賞」と呼ぶようになり、それが今現在も定着している。

 

金賞と言われた学校は、言われた瞬間から叫ぶほど盛り上がる。逆に銀賞銅賞の学校は、その時点でエリア大会への出場権はなくなるので、部員たちのすすり泣きの声がよく響いていた。

 

私たちの学校名が呼ばれた。結果は金賞だった。

みんな叫んでいた、というより3年生が大盛り上がりだった。そりゃそうだ、最後の大会だからだ。

 

全部の学校が呼ばれたあと、エリア大会出場校の発表。私たちの学校名が呼ばれることはなかった。

 

その瞬間、3年生にとって最後の夏が終わった。

3年生は全員、2年生もほとんど泣き崩れていた。

 

私はというと、正直、金賞と言われたときに叫んでいた人たちへの理解もできなかったし、エリア大会に行けず涙が出るのも理解できなかった。当時はそこまで物事に対して熱くなったことがなかったからだ。

なんなら、エリア大会に行けないと分かって、練習しなくてすむ、休めるしラッキーくらいにしか思っていなかった。

 

 

それが私の初めてのコンクールの思い出。

 

好きな人

学校生活が慣れてきた頃、同じクラスに好きな男の子ができた。名前はナツキくん(仮名)。

 

ナツキくんはイケメンの小柄な子でサッカー部。普段はクラスのムードメーカー的な存在で、いつも面白いことをしていたり、おちゃらけた発言をしたりと、明るい人だった。

けどふとした瞬間に、陰のある雰囲気を出すこともあって、ミステリアスなところもあった。

 

私は、みんなを明るくするナツキくんが大好きだったし、陰があるところもなんだか魅力的に感じていた。

 

 

そんなある日、ナツキくんから急に呼び出された。

まさかの、ナツキくんから告白されたのだ。

私はとても嬉しく、すぐOKした。

 

ナツキくんと付き合い始めてすぐ、顔の広いナツキくんは、クラスの子たちや他のクラスの仲良い子たちに、「りなと付き合ってるから」と報告しまくっていたので、私のことを知らない子たちからも、名前と顔を覚えられてしまっていた。少し恥ずかしかった。

 

付き合い始めてから知ったが、ナツキくんはとても嫉妬深い人だった。

私が他の男の子と喋っているだけで、すぐ不機嫌になり、話しかけても無視されたりした。

お互い部活をしていたので、部活終わりは一緒に帰るのが日課になった。というか、ほぼ一緒に帰るよう強制されていた。

 

2人でいると、ナツキくんはよく家の話をしていた。ナツキくんは一人っ子で、私と同じ母子家庭だったので、いつも家では一人なんだと言っていた。

私との関係に関しては、「本当は嫉妬もしたくないし、りなとずっと一緒にいなくても強くなれるようにしたいのにごめん」とよく言っていた。寂しがりやなんだと思った。

 

ナツキくんはお手紙もよくくれた。

ポストイットでくれたり、便箋でくれたり。

とにかくほぼ毎日手紙をくれた。

ナツキくんの字は、とても丁寧で、習字の見本のような綺麗な字だった。

 

 

ナツキくんと付き合っていた日々は、とても刺激的だった。というか、嫉妬深くて束縛がひどいと思えば、急に優しくなったり甘えたり謝ったりしてきて、なんだかナツキくんの手のひらで踊らされてるような日々だった。

 

付き合って3か月ほど経った頃、ナツキくんと仲良しのサッカー部の子、谷山くん(仮名)が、部活帰りに私とナツキくんと一緒に帰りたいと言ってきたので、一緒に帰ることになった。

谷山くんとも同じクラスなので、ナツキくんと一緒に教室でお喋りすることもよくあった。

 

私と谷山くんは途中から帰る方向が一緒になるので、ナツキくんとは途中で別れた。

私と谷山くんが2人で帰ることに、ナツキくんはかなり不機嫌になっていたが、谷山くんがなだめてくれて、どうにか解散できた。

 

谷山くんと2人きりの帰り道。

「ナツキの相手、大変でしょ。嫌にならない?」

と聞かれた。

正直、振り回されてるなとは感じていたが、好きな気持ちに変わりはなかったので、「大丈夫だよ」と答えた。

 

そのあと他愛のない話をしたあと、谷山くんの好きな人の話になった。

「俺にも好きな人がいる。でもその子は俺の親友と付き合ってる。俺の方が幸せにできる自信がある」と言われた。

最初は誰のことを言ってるのか分からなかったが、「今、その好きな子と一緒に帰ってる」と言われて、自分のことだと気づいた。

 

谷山くんの気持ちは素直に嬉しかったが、丁寧にお断りした。

 

 

3人で帰ってからしばらくして、ナツキくんに廊下に呼ばれた。

廊下には他の友達たちもたくさんいたのだが、そこでいきなり、「もうりなとは付き合えない。別れよ」と言われた。周りにいた友達たちもびっくりしていた。

 

私は何がなんだかさっぱり分からず、「なんで?納得できない」と言ったものの、その後全く喋ってもくれず、目も合わせてくれなくなった。

 

別れを告げられた次の日からは、急にいろんな友達に私の悪口を言われた。

私がナツキくんの近くで他の友達と喋っていると、私に聞こえるように、

「あいつムカつく」

「死ねばいいのに」

「チッ(舌打ち)」「うざ、男たらしが」

と色々言われたりもした。

 

なんでそんなこと言われないといけないのか、原因がさっぱり分からなかった。

次第に私も、悪口ばかり言うナツキくんに対して嫌気がさしてきて、ナツキくんの悪口が聞こえてきたら反抗するようになった。

 

一体何が原因だったのか、結局知ることはなかった。

吹奏楽部へ

中学生になると、クラスでは部活に入る入らないの話で持ちきりだった。

 

私は同じマンションに住んでいる、小学校のとき同じ登校班だった2個上の先輩から、吹奏楽部に入るよう勧められていて、なんならその先輩が担当しているサックスという楽器をやるように言われていた。

 

そもそも私は小学生の頃、さきに勧められてブラスバンド部に入ったが、担当は打楽器だった。

中学に入ったら吹奏楽部には入ろうと思ってはいたが、楽器はブラスバンド部のときから憧れていたトロンボーンという楽器がやりたかった。

 

けど先輩の押しの強さに負け、しぶしぶサックス希望で入部した。

 

 

サックスパートは私含めて全部で6人いて、私と同学年の子は1人だった。同じクラスの子ではなかったが、同じサックス仲間として仲良くなった。

 

私は体格が大きくはなかったので、アルトサックスを担当、私と同学年の子、みさ(仮名)は少し背が高かったのでテナーサックスを担当した。

 

 

私が入部した吹奏楽部は、当時それなりに強豪校で、吹奏楽コンクールでは全国大会にも出場している学校だった。

 

私たち1年生は、担当する楽器によってはそもそもコンクールにも出れないのだが、サックスパートは人が少ない方なので普通に出れた。

でも丸々一曲吹かせてもらえるわけではなく、たったの一小節しか吹かせてもらえなかった。

けどその、たったの一小節を何時間も練習させられるのだ。

 

曲の練習(合奏)に参加させてもらえるだけ、まだ良い方で、基本的には基礎練習のみ。

授業がある平日はほぼ基礎練しか時間がとれず、基礎練も腹式呼吸が1時間、マウスピースでの練習が1時間、ロングトーンが残りの時間、の配分。

土日は毎週練習があり、朝から夜までみっちり。その場合は午前中、まず体力作りと腹式トレーニングで校庭を何周も走らされ、腹筋と背筋の筋トレのあと全て平日にやっている基礎練、その後午後から一小節の練習1〜2時間のあと、合奏に参加して終わる。

 

土日はそもそもハードすぎるので、たった一小節のためだけに参加する合奏中、疲れてウトウトすることもしょっちゅうあった。

顧問の先生はかなり厳しい人だったので、指導はヤクザのようだったし、上手く吹けない子に対しては廊下に放り出されたり、校庭を走らされたりした。ウトウトしているのがバレたときは指揮棒の持ち手の石のように硬い部分で頭を叩かれた。これが本当に痛いので、すぐ目が覚める。

 

正直、ここまでがっつり音楽漬けになる予定ではなく、ただ楽しくやりたかっただけなので、とんでもない部活に入ってしまったと後悔した。もちろん、ついていけない子たちはどんどん辞めていった。

 

私も辞めたい気持ちしかなかったが、辞める勇気もなかったので、結局続けることとなった。

新たな日々

中学生になった。

 

私が通っていた中学は、校区内にある3つの小学校から生徒が集まる。なので新しい出会いがたくさんあった。

 

同じ中学にあがったさきと、初めて両想いになった彼とはクラスが別々になった。

 

私のクラスは同じ小学校からきた子もいたが、小学校で同じクラスになったことのない子たちばかりで、ほぼ知らない人たちだった。

 

もともと人見知りな私は、ちゃんと友達ができるか不安だったが、それでも話しかけてくれる子もいたりして、なんとかクラスに馴染むことが出来た。

 

 

入学してしばらくすると、私が前にウィッグをしていたことを、いろんな人に言いふらす子も出てきた。面白いネタが欲しかったんだろう。

 

ウィッグのことを知らない子たちから、「かつらだったの?」と聞かれることも増えたが、当時はもうウィッグはつけてなかったし、脱毛斑はまだあったが隠せる範囲だったので、なんとかごまかせた。

聞かれることも一時的なもので、しばらくしたら私の話題などすぐになくなった。

 

 

両想いだった彼とは、中学に入るとクラスも違うし、全く会うこともなくなった。

 

私と彼が両想いだと知っていた子が、彼に、「りなちゃんと今どうなってるの?付き合ってるの?」と聞いたらしいが、彼は「付き合ってないし、もう好きじゃない」と言っていたそうだ。

 

それを聞いた私は、もちろんショックはあったものの、今までずっと中途半端な感じだったので、はっきり出来てスッキリした気持ちの方が大きかった。